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悟りの境地・人間は神そのものの意識になれる

人間は神そのものの意識になれる


生きとし生けるすべての生命は神そのものです。
ですから、もちろん私たち人間も神そのものなのです。
しかし、あなたがたは、自分が本当に神そのものであるのか、そして、神の意識を自覚して生きることができるのか、
と素朴な疑問を抱くことでしょう。

では、あなたに質問します。

地球を作ったのは誰でしょうか?
人間を作ったのは誰でしょうか?
地球上に生息する百万種類以上の生物を作ったのは誰でしょうか?
あなたの六十兆もの細胞一つ一つを動かしているのは誰でしょうか?
毛細血管の隅々にまで血液を休みなく送り続けているのは誰でしょうか?

このように論理的に考えても、それが普段「自分」だと思っている「自分」ではないとすぐにわかるはずです。
この脳は人間が作ったものではないという結論に、誰もが辿り着くに違いありません。
私たちが神そのものであることは、このように理性的に考えても理解できるのです。

そしてもう一つ、神の意識を自覚するためには、脳で考えるのではなく、真我を開いていくことです。
真我を開くことによって、私たちは神意識、即ち全体意識になることができるのです。

真我を開くとは、「もともと全ての生命は繋がっているのだ」と体感することです。
真我から「見える」とは、この非常に制限された五感を超越し、全ての真実を一瞬にして把握できるということです。
真我は神であり真実の全てですから、真我を開けば、この宇宙のすべての真実が見えるのです。
目の前にいる人が何を考えているのか、何を欲しがっているのか、そして、何をなせば良いのかが見えるのです。

真我を開くことによって、全身の細胞で全てが繋がっていると感じることができます。
それはちょうど、風船を割ったら風船の中の空気も全体の空気と一つだったとわかるのと同じです。
本当はもともと一つなのですが、風船のゴムがあるために、中と外が分離しているように見えるだけなのです。
風船をパンと割ることによって、一瞬にして全体と同化するのです。

真我という空気を、私たちの思いというゴムが分離させているのです。
その思いというゴムを割ることによって、宇宙全体と一瞬の内に繋がるのです。
宇宙全体と一つであると体感すると、地球上の全てのものが愛しくなります。
私の目の前で、何千人もの人々がそのような体験をしています。

心は無限の構造になっています。地球上にいる六十億人全員その深さは違います。
ですから、同じものを見ても、どの次元で捉えるかによって受け止め方が違ってきます。
心の一番浅い次元が個体意識です。
逆に心の一番深い次元が神次元、全体意識です。奥になればなるほどより全体意識になっていきます。

私個人という個体意識から、家庭という少し大きな単位へ、そして、会社全体や地域社会というより全体意識へ、
さらには、人類全体というもっと大きな全体意識へというように、心の中は無限の構造になっているのです。
奥に入れば入るほど全体意識に繋がっています。

心の多重構造は、風船に例えれば、風船のゴムが何重にも重なっているようなものです。
しかし、どれだけ幾重に重なっていても、そのすべてを一瞬で割ることができるのです。
真我を体感するということは、その風船のゴムが全部一瞬にして割れるということです。
もともと真我は誰の中にも内在しているのですから、何重に重なっていても一瞬で全部割って体感することができるのです。

心は業やカルマでできています。
業やカルマは夢と同じで実際にはどこにも存在しないものです。
存在していないものですから、一個づつ消えるのも千個が一度に消えるのも同じなのです。
実は私たちは存在していないものに縛られているのです。
業やカルマがどれだけあろうが、それらを一瞬の内に消すことができるのです。

この世界は、いろんな次元でできています。
一次元は線、二次元は平面、三次元は縦横厚みの世界です。
三次元までは私たちの肉眼で見えます。四次元から先は心の世界ですから、肉眼では見えません。
全ての次元は心の中にあります。
その一番究極の次元は神であり真我です。

次元が高くなればなるほど、微粒子の振動が細かく繊細になっていきます。
次元が浅いほど振動が粗くなります。
私たちの目に見える物質というのはかなり粗い世界です。
テレビの電波が粗いと画面にも粗く映りますが、繊細だとより鮮明に映ります。

見るとか見られるという世界は、まだ分離がありますが、真我は分離のない世界ですから、
見るとか見られるという概念もありません。
とは言え、私たちはこの肉体を持っている以上、この五感で感じ、この肉眼で見ることに変わりはありませんから、
完全に全体意識から見るということは不可能なのです。
いくら神意識になっても、人間を見た時には人間という固体を見るしかありません。

しかし、真我を開いて、真我の心になった時には、目の前に見える全ての人を愛することができるのです。
最初から敵などいないのだという心で、全ての人と接することができるようになります。

キリスト教で言う“罪を憎んで人を憎まず”とは、人が抱えている業は憎んでいるけれど、
人間の本質は神ですから、その神は憎まないという意味です。
そのように人間の本質の方を直視することができるのです。

しかし、どれだけ真我に目覚めようとも、私たちは肉体を持った人間であることには変わりませんから、
その制限された中で見るしかないのです。
私たちはみな本当は完全なる神なのですが、完全に神そのものとして日常生活を送ることは現実的には不可能に近いわけです。

それでも、神に限りなく近づいて行くことは可能なのです。
真我を開くことによって、より高い次元に上がり神に近づくことができます。
どこまで行っても神に近づいて行く過程を歩んでいるのです。

ゴールというものはありません。
人間の観念にはゴールや過程といったものがありますが、
宇宙から見たら、全てが宇宙そのものですからゴールも過程もないのです。
しかし、敢えてゴールというならば、それは神そのものであると言えます。

今私は佐藤義塾の事務所にいます。
しかし、同時に「新宿にいる」とも言えます。
また「東京にいる」とも言えます。
あるいは「日本にいる」、さらには、「地球にいる」とも、そして「宇宙にいる」とも言えます。
では一体、どこにいると言うのが一番正しいかと言うと、それは「宇宙にいる」という言い方が一番正しいのです。
なぜならば、新宿とか日本というのは、私たちが境界線を勝手に引いて分けたものに過ぎないからです。
本当は宇宙には境界線などありません。
宇宙は一つなのです。私たちはその宇宙にいるのです。
そして、私たちは宇宙そのものでもあるのです。

私たちは、最初から宇宙の法則に沿って生きるのが良いのでしょうか、
それとも段々宇宙に近づいていくのが良いのでしょうか?
正確に言うなら、近づいて行くと言うのは正しくないのです。
なぜなら、私たちはもともと宇宙にいるし宇宙そのものだからです。
結論が先なのです。

自分も宇宙そのものならば、宇宙の法則に沿うも沿わないもないではないか、という疑問が出て来るかも知れません。
しかし、私たちは自らの意志で宇宙の法則に逆らう自由も与えられているのです。
実際には、私たちは川の流れに逆らって上流に向かって船を漕ぐようなこともしているのです。
川の流れは宇宙の法則です。
川の流れに沿うか逆らうかは私たちの意志にかかっています。
逆らって漕いでいれば、やがては体が疲れ果ててしまいます。
それが、不調和になったり病気になったりするということです。
これが宇宙の法則に逆らうと言うことです。


41)「私たち人類は、みな愛を欲しがります。」を読む





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