悟りの境地・人間は神そのものの意識になれる

本当の宗教とは


本当の宗教は、人間が現れる前からあるものです。
人間が造ったものは、本当の宗教ではありません。
それは自分たちが造りあげた哲学か思想に過ぎません。
本当の宗教とは永遠不変の宇宙の法則のことであり、人によって造られたり変えられるようなものではありません。

現存の宗教団体のほとんどは、信者たちに対して、本当の真理を理解できなくても全面的に信じることを強制しています。
それが信仰です。
しかし、できることならば、わからないで盲目的に信じるよりも、
十分に理解をして自ら確信を持つに至る方が遥かに良いのです。

十分な理解と確信を得るには、真実を見る目を養うことが必要です。
目の前にあるものがダイヤモンドであると信じ込むよりも、
ダイヤモンドであるかどうかを様々な角度から検証して確認できた方が良いのです。
そして、本当にダイヤモンドであることがわかれば、本物の確信に変わります。
その時には信仰を遥かに越えることができるのです。

私たちは、あらゆる手段を駆使すれば、
目の前にある透き通った石が本物のダイヤモンドであるかどうかを見分けることができます。
それと同様に、私たちには真実を見分けることのできる能力が既に誰にでも備わっているのです。
なぜならば、私たちは誰もが全知全能なる神そのものだからです。
しっかりと目を見開いて、真実を見ようとさえすれば、地上の誰もが真実を目の当たりにすることができるのです。

信仰をしている段階では、宗教団体や宗派の違う他の人たちと調和しなくなります。
信仰が強ければ強いほど、他の人との分離感が助長されてしまいます。
しかし、自らの目で真実が見えるようになれば、けっして他の人とバラバラにはなりません。
なぜならば、真実は私たちすべては一つの生命だからです。
誰とも分離していない一つの生命だからです。
そして、すべての生命は愛そのものでできているからです。

世の中には、自らの欲を満足させるために断定的にものを言って群集を引き付けようとする人がいます。
真実の見えない人には、どうしてもそのような人に惑わされてしまう危険があります。
ですから、断定的に真実について言い切る人には十分に気をつけなければなりません。

宇宙の真理を知るためには、真我を知ることです。
真我こそが宇宙の真理そのものだからです。
真我を知らなければ、本当の真理はいつまで経っても見えてはきません。

私たち人間の意識は多重構造になっています。
物事を見る時には、自分の意識のレベルでしか見えません。
浅いレベルの自分で捉えるか、より深いレベルの自分で捉えるかによって、全くものの見え方が違ってきます。
浅い自分で物事を捉えても、それは真実ではありません。
最も深くに内在する真我の目で見た時にのみ、本当の真実が見えるのです。
真我の目だけが真実の目なのです。

あなたの中に神とサタンが眠っています。
神は真実、サタンは迷いです。
そのどちらを本当の自分と見なすかによって、人生は百八十度変わってきます。
サタンの自分を自分と認めると、迷いの人生を送らなければなりません。
神の自分を自分と認めると、愛と歓びの人生を送ることができます。
自分の目でしか物事を見ることができませんから、どちらの目で見るかによって、あなたの人生は天国にも地獄にもなるのです。

山の中腹までしか登ったことのない人には、中腹までの景色しか見えません。
頂上まで登って初めて山の全容が見えるのです。
しかし、私たちは、どこから見ても自分の目で見た景色を真実として捉えることでしょう。
心の世界もそれと同様、まだ浅くしか開発していない人には、そのレベルのものを真実として捉えてしまいます。
深く開発している人とは、捉え方が全く違うのです。
神である本当の自分を知らなければ、本当の真実を見ることはできません。

宇宙飛行士が、宇宙から地球を見たときに、「地球を愛しく感じる」と言います。
その時に愛しく感じるのは、愛の心が私たちの中にもともと内在しているからです。
そのような心がなければ、例え同じ状況にいたとしても何も感じないはずです。
私たちの中には、大いなる愛の心が眠っているのです。


35)「大自然の法則こそが本当の戒律」を読む





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