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悟りの境地・人生の目的は神に目覚めることである

本来苦しみなどは存在しない

心の働きは、いつも一定ではありません。
同様に、現象界も一時たりとも同じ状態には留まっていません。

川の水も常に流れています。
物質は必ずいつかは古くなり崩れ去っていきます。
それは心と同じです。
全ての人の心と、人の心によって造られたこの世の全てのものは、まさに諸行無常なのです。
一時も留まってはいないのです。
この世に生きとし生けるものは必ず消え去って行く運命にあるのです。

因果の法則というのがあります。
これは原因と結果の法則です。
全てのものは原因があって成り立っています。
原因と結果があるだけであって、そのものの実体はありません。
心の法則も同じです。

例えば、この車は、誰かが「こんな車を作ろう」と心に描いた結果、このような形となって現れたわけです。
ただそれだけのことに過ぎません。
誰かが描かなければ、この車は存在しないわけです。
最初から存在したわけではありません。
そして、いずれは古くなり、巨大なゴミになってしまいます。
ですから、描いたものが形になっただけであり、この車自体に実体はないのです。

「ここにこうやって車としての実体があるじゃないですか?」と思うかもしれません。
しかし、この車も交通事故に遭えば、ただのガラクタになってしまいます。
さらにスクラップされれば、ただの鉄屑になってしまいます。
ですから実体はないのです。

また、この形のままだとしても、顕微鏡で見たらまた違うものに見えます。
望遠鏡で見たら、また違うものに見えます。
そこには、顕微鏡で見るという原因と、顕微鏡で見た時に映る結果があるだけです。
肉眼で見るという原因があって、私たちがこのように見える結果があるだけです。
ですから実体はないわけです。
全ては無なのです。
全部相対的な関係があるだけなのです。

しかし、この実体というものをもう一歩深く捉えると、実体がないのではなく、
「そこには神があるだけだ」ということになります。
本当の実体は神しかありません。
「無限がある」と言い換えることもできます。
存在しているのは神しかないのです。
全てこの世は神の現れなのです。
神をエネルギーとして捉えた時に、エネルギーしかないのです。

お釈迦さんは宗教家ですが、非常に哲学的な面を持っています。
哲学を追求していくその延長線上に涅槃の境地に達し、即身成仏という言葉が出てくるのです。
山を下から徐々に登っていって、頂上に辿り着いたという生き方だと思うのです。

お釈迦さんには、人間中心の視点こそが人間を救うためには一番説得力があり、正しい方法論だという確信があったわけです。
ですから、哲学的な教義を説いている部分があるのです。
しかし、私の場合は全く逆なのです。
人を救うのは、神の視点になるしかないと考えているのです。

人間の苦しみと言うのは全部心の中にあります。
それを存在するものとして捉えるのか、あるいは存在しないものとして捉えるのか、
そのどちらを前提とするかで全く違ってきます。
存在するものとして捉えた時には、存在するものとして立ち向かっていかなければなりません。
そして、それに対して一個一個解決していかなければなりません。

ところが、苦しみなどは存在していないと捉えたら、そんなことに関わる必要性がなくなります。
苦しみなどは夢の中にあるだけであり、夢自体が存在していないのだから、ただ目を覚ませばいいだけなのです。
夢から覚めれば、どんな問題でも一瞬にして消えてなくなるのです。
私は、苦しみは存在していないというところを大前提にしているのです。

お釈迦さんの場合はそれが存在しているというところを前提にして、そこから出発しています。
お釈迦さんにも、成長の段階があったはずです。
もともと王子様として生まれて、外の世界に出て、人の苦しみを見て自分も苦しみ、
何とかそういう人たちを救えないだろうかというところから始まったのです。

お釈迦さんの卓越したところは、自分が“即身成仏”を悟った時には、
夢などは存在していないという境地に達したにもかかわらず、それを貫き通さなかったことです。
なぜならば、「苦しみなどは存在しないのだよ」と言っても、一般の人には理解できないからです。
そして、一般の人たちに理解させるために方便を使ったのです。
お釈迦さんは方便の超天才でもあるのです。
自分は知っていても、知らないフリをして人々に合わせていたのです。

人が「苦しいんです」と救いを求めてきた時に、「うん、苦しいのは当たり前なんだよ」と言ってあげることによって、
その人を楽にしてあげることができるのです。
「苦しみなんてないんだよ」と言ったところで、それでは人は救われないのです。

私のところにもいろんな人が相談に来ますが、その人たちに「苦しみなんてないんだよ」と言ったら
「こんなに苦しんでいるというのに、苦しみがないとは何ごとだ!」と怒鳴られてしまいます。
「そうですね…。私もそうでしたよ。
苦しいのはよくわかりますよ」と言ってあげた時に、初めて共感を呼ぶのです。
そこでその人と立つ位置が合うのです。

お釈迦さんは、方便自在と言って、あらゆるチャンネルに自分を合わせることができたのです。
誰にでも合わせられるというのは、本当に悟った人にしかできないことです。
本当の悟りとは愛ですから、自分を変化自在に変えることができるのです。
お釈迦さんは、段々悟りを開くに従って、それを自由自在にできるようになったと思います。
哲学から始まって、即身成仏の世界に辿り着くというのは、本当に大変なことなのです。
普通では考えられません。大体の人は哲学で終わってしまうのです。

真我は方便自在です。
真我は愛であり、神ですから、あらゆる段階の人に合わせることができるのです。
赤ちゃんには赤ちゃんに合った話し方が、大学生には大学生に合った話し方ができるのです。
それができるのは、真我しかありません。
人間の知恵や思いやりの心だけでは、そこまではいかないのです。


20)「学ぶのではなく自分の中から引き出していく」を読む


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