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悟りの境地・人生の目的は神に目覚めることである

“一切皆苦”と“即身成仏”


お釈迦さんは“人生は一切皆苦である”と説いています。
人間が業を背負って生きていると捉えると、確かに“一切が苦である”と言うこともできます。
しかし、“一切皆苦”で終わってしまうと、救いがないということになってしまいます。

お釈迦さんはまた、“即身成仏”とも説いています。
これは「人はその身そのままで仏である」という意味です。
仏は完全ですから、仏の世界には苦など存在しないのです。

お釈迦さんは、“一切皆苦”と“即身成仏”という一見矛盾した二つの真理を説いているのです。
しかし、“一切皆苦”とは業のことであり、“即身成仏”とは真我のことであると捉えると、この矛盾が解けるのです。

“一切皆苦”とは、業、カルマのことであり、それはどこにも存在しない夢、幻の世界です。
真実は成仏の世界しかありません。
夢か真実しかないのです。
夢で生きるのか、真実で生きるのか、二つに一つなのです。

お釈迦さんが、病気でもがき苦しむ人たちを目の当たりにして、
「なぜ人はこんなに苦しまなければならないのか…」と自らも苦しみを感じ、歳を取った老人の顔を見て、
「なぜ人はこんなに見にくい姿にならなければならないのか…」と疑問に思ったのです。
そこから“人生は一切皆苦である”という言葉が出て来たのです。

しかし、それはお釈迦さんの出した結論ではなく、むしろお釈迦さんの出発点だったのです。
そこから、「この苦から脱却する方法は何なのか?」という長い探求の旅が始まったのです。
そして、やがて仏の世界“即身成仏”の世界に目覚めて行ったのです。

世の中にあるものは全て流れ、そして消えていきますから、執着心というものがあると人は苦しまなければなりません。
財産も失なうことがあります。
愛する人と別れることもあります。
自分の美貌を保とうとしても、歳とともにしわが増えてしまいます。
その過程が苦しみになっていくのです。
世の中は無常なのです。
ですから、自分が宝だと思っているものを永久に持ち続けることは、何一つとしてできないのです。

私たちは、自分が大切だと思うものを握ることが幸せだと錯覚しているのです。
しかし、いずれはどんなものをも手放さなければならないのです。
最後は命さえも手放さなければなりません。
実はその執着心こそが苦の原因なのです。
執着心が強ければ強いほど苦しまなければなりません。
人は放さなければならないという苦しみからなかなか逃れられないのです。

しかし、自らが執着を手放せば、苦しみはなくなります。
人から奪い取られると苦しくなりますが、自らが手放せば苦しみはなくなるのです。
そして、仏であることを悟った時に、現世の快楽ではなく、本物の喜びを得ることができるのです。
真我に目覚めれば、苦しみから逃れることができるのです。

ただ、「執着を手放しなさい」と言われても、私たちはなかなか手放すことができません。
しかし、誰が見ても今握り締めているものよりも素晴らしいものを見せられれば、
自然と握っているものを手放すことができるのです。

お釈迦さんの説いた教義の中に“八正道”というものがあります。
「正しくものを見」「正しく行う」というように、何事も正しくするという教えですが、
問題は何をもって正しいとするかです。
その正しいという基準こそが最も難しいのです。
正しいという概念は、百人いたら百人とも違います。
絶対的に正しいという基準は、仏であり真我にしかないのです。
ですから、正しく行うためには、真我を開く以外にはあり得ないのです。
仏心に従うことによって苦滅に到るのです。
仏心に従うことが彼岸の道、涅槃の道なのです。


19)「本来苦しみなどは存在しない」を読む





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